映画ログ:ブレードランナー
『ブレードランナー』を観終えた後の何とも言えない感想。
いろいろな感想で書かれていますが、これだけの美しい映像を、これだけの壮大なストーリーを1982年に作り上げているということにまず感動します。
(原典の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は1969年なんですね。フィリップ=K=ディックの才能半端ないですね・・・)
この作品のアンドロイドは「4年間で死ぬ」ようにプログラムされていて、その寿命を超えて生きたいという、純粋な願いで行動しているものの、逆にアンドロイドである以上「部品を変えれば、永久に死なない」という設計もできるわけで。
同じように、この映画のレプリカントは「銃で撃たれたら死ぬ」程度の性能しかないものの、「人間が束になってもかなわない」にすることもできるわけで。。。
『ブレードランナー』が出来上がってから、時代が経って人間の区別のつかないロボットのリアリティがどんどん出てくるにつれて、その真の怖さである「ロボットに人間はあらゆる意味で、かなわないかもしれない。」という課題が見えてきている気がします。
『トランセンデンス』では、人間の知識をコンピュータに移植したら、その圧倒的なコンピュータの性能のために自我が暴走する姿が描かれています。
また、このコンピュータに移植された人格は、人間を外部からコンピュータ制御で操って「ゾンビ化」させるなど、人間をはるかに超えた性能を発揮します。
個人的には、ロボットの誕生の後で起こることは「人間になれず苦悩をするロボット」ではなく、「ロボットになれず苦悩する人間」が本質なのではないかという気がします。もうすでに、機能だけで見ればコンピュータ×機械は人間をはるかに超えているような気がしています。
そんなのが普及したら、「あらゆる局面で、人間いらないよね?」となる気がします。
そのうえで、この『ブレードランナー』でレプリカントの作者が、レプリカントにいう「自らの生を全うする」ということのみが、人間も将来のロボットも唯一平等な尺度になるのかもしれないですね・・・。
わずか80年で死ぬ人間が、半不死のレプリカント(ロボット)に対して何を思うのか?そんな時代がそのうち来るのかもしれないですねー。