『天才はあきらめた』といいつつ、ちゃっかり猛烈に努力している山里亮太について語る
読書ログです。
南海キャンディーズとして、大活躍中の山里亮太さんの振り返りです。
私は山里さんは深夜ラジオを聞きこむくらいファンだったのですが、彼の華々しい活躍の裏側にある「ドロドロとしたもの」をこれでもか!というほど書き連ねた本です。
彼の行動を語るうえで、「張りぼての自信」がまずはキーワードとなる。
南海キャンディーズ結成にいたるまで、山里亮太は2度コンビを解散している。
彼は周りで嫌なことがあるとその不安や苛立ちを、自分のノートへ書き込むと同時に、相方にもぶつけていたのである。
「自分は天才じゃない」という自覚を強制的に消して、すごいところを目指さなくちゃいけなかった。「あいつのは才能がない」と誰にもバレないように、天才が自然にしていることをやり遂げる必要があった。
NSC時代には同期のキングコングの大活躍と、一方で活躍できていない自分。
「ふざけるな!」とその苦しみを燃料にネタを書きまくった。そして、不安を紛らわせるために相方を何度も叱った。
ここまで頑張る自分は天才だなと「偽りの天才」を作り込み、少しでも褒められたら「張りぼての自信」を固めていく。嫌な目に遭ったら「地獄ノート」に復讐の言葉を綴りエネルギーにする。
(実際に、いやなことを言ってきた社員に復讐したり、本当に根に持っている。)
なんと陰湿なモチベーションの保ち方なのだろう・・・
正直、読みながら、若干ひいてしまうようなところもあった。
特に、相方につらく当たり続けて、コンビを解散することになるくだりを南海キャンディーズも含めると3回やっていたり、相方が活躍すれば嫉妬でますますつらく当たるなど・・・。
一方で、これらの話が全て、この本のタイトル『天才はあきらめた』に通じてくる。
実は本書は最初『天才になりたい』というタイトルで出版されているものを加筆したものである。
天才なら、淡々と努力ができる。天才なら、自分が面白いと思うものをやり、それで笑いが取れる。天才なら、すぐに結果がついてくる。
そういう「天才」ではなかった山里さんがいかにして、スターダムを這いあがっていくか、そういう血のにじむ努力が赤裸々に描かれている。
天才でない。から無理なのではなく、天才でない。なら、ないなりに努力しようと本当に思える一冊でした。
南海キャンディーズに興味がなくても、楽しめる一冊です。