落合陽一さんの本を読むときは、いつもいいしれない劣等感に苛まれる。
ある時期は同じ学校に通い、同じ授業を受け、きっと同じ問題意識を持っていたこと。
それでいて彼が自らの問題意識に対して、文字通り「命を削って」向かい合っているのに、自分はこれまでも今も「命を削らないままで」向かい合っていることを毎回思い知らされる。
(同級生からは「逃げ方が中途半端だからそうやって苦しむことになる」と言われているが。。。)
さて、『日本再興戦略』について書いていこうと思うが、歴史の解釈についてはコメントのしようがなかったので、現代以降に絞って感想を書こうと思う。
(あえて本書の範囲を大きく超える形で書いていく)
まず、大前提の時代性として、現代は近代的価値観(均質的な教育・拝金主義・唯一の社会の正義)が崩れていくプロセスが現在進行形で進んでいる。
その中では近代の軸の最終進化系ともいうべきプラットフォーマー(あるいは超エリート)の台頭と近代とは異なる軸で勝負をする地域分散の社会への多層化が同時に進行している。
機械のような人間 vs 人間のような機械
本書では機械翻訳やチャットボット、自動運転が扱われているが、テクノロジーの発達により人間は機械化されていく。例えば、「認識能力の拡張」という意味でホロレンズのようなものを入れ、IoTでつながれた外界の環境を把握できるようになる。
「コミュニケーション能力の拡張」という意味で機械翻訳が会話をサポートする。
あるいは、既に義足での100m走の記録が健常者の記録に追いつきつつあるように、機械が人間の身体性も補う(そして人間を超える)時代が来ると考えている。
一方で、機械側はますます「人間に近づいていく」。
チューリングテスト(人間とコンピュータを判断するための試験)をクリアし、人間的な駆け引きができる人工知能(人狼知能)やユーモアを備えた人工知能(大喜利β)などが登場し、人間と機械の境界をあいまいにしていくだろう。
最終的には、デカルトの「われ思う、故にわれあり」という状態へ近づいていくのではないだろうか?
・カリフォルニア帝国(プラットフォーマー) vs 地域分散(トークンエコノミー)
上で書いたような技術を生み出すのはプラットフォーマーである。プラットフォーマーは資源(資金・人材・技術・データ)を世界中から集積し、それを基に新たなプラットフォームを生み出し、プロットフォームを高速で成長させる。
プラットフォームはその傘下にある小企業群と共に生態系を作りながら成長していく。
一方でプラットフォーマーはデータなどの資源を独占的に持ち、指数関数的に成長するので、普通は勝てない。
プラットフォーマーへの対抗策として、中央集権制を廃した地域分散型のトークンエコノミーが生まれる。トークンエコノミーの本質的な価値は「唯一性」であり、何らかの魅力や思想を核に求心力を持っていく。
プラットフォーマーが「便利さ」「優秀さ」を訴求するのに対して、トークンエコノミーは「不便さ」「包容」を訴求する。
これからの社会は「唯一であること」「真似しにくい魅力があること」を問われていくのではないか?
「唯一さ」とはなにか?これずっと考えてるけど答えが出ないので省略。
・一つを極める vs いろんなことをやる
個人も変化を迫られる。これまでのホワイトカラー的付加価値(何かを整理する。多くの人が共同できる素地を整える。ルールを運用する。)は情報技術に取って代わられる。
そのため、ものを作りだすクリエイターが重要になる。無理なら何とかして、複数の仕事を掛け持ちして、いらんなことをやって稼ぐしかなくなる。ポジティブにとれば縛られることなく好きなことをたくさんやって稼ぐ。
それが厳しいのであれば、「カースト制度」的なシステムで、ミッションを人に配給して与える。
(落合氏はおそらく、人の幸福を「安寧でそこそこのやりがいのあるミッションを持つこと」と定義しているが、例えば、中学生には「部活」「勉強」というわかりやすいミッションがあり、安寧もあるがそれが幸福か?という議論はできると思う)
・土台にあるのが人間のモチベーション
機械(AI)と比べて人間に優位性があるのは以下の分野
・ヒューマンインタフェース(コーチや心療内科など)
・身体性
・モチベーション
センター試験を合格する能力を持つAIは作れても、きのこ狩りが好きなAIは作れない
(山をあがるきのこを回収する身体性がない、ニッチでデータが見つからない、そもそもAIにモチベーションを持たせられない、それができたとしても金銭的に釣り合わないので、きっとキノコ狩りAIは作りえない)
人間は「やりたい」という感情があり、それを活かしていくとその人の中にストレスもないのでその人の強みになる。
個人的にはパフォーミングアーツ(身体を使った芸術)に興味があり、これからの時代はもっとダンスや舞踏などが評価されるのではないかと考えている。
(身体性があり、ニッチで機械や素人による模倣不可。)
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