うぇるそふぃあ ~35歳リーマンの生活収支改善ブログ~

某IT会社で勤める35歳の企画系ヌルリーマンの日常。日々が退屈で、面白いことを失ってしまった僕に「楽しさ」と「驚き」を。自分がテクノロジーやガジェットが好きなのでそれ系の記事が多めになると思います。

自分の幸福を決めるたった一つの質問

「自分は唯一だろうか?」という質問がこれからの時代の中で一番重要な質問になると感じた。
この質問に対して、何かしらの理由でYesと答えられる人はたぶん幸せになれるだろうし、Noだと答える人はたぶんどこかしらで生きづらさを感じる時代が来るのではないかという気がしている。
(ホントはこの質問の存在に気づかない人が一番幸せなのではないかという説はおいといて・・・。)

 

①世界レベルで見ても唯一性を客観的に証明できる人(もの)

例えば、一流のスポーツ選手や芸術家や起業家など、どこからどう見ても自分が唯一なんだと言えて、客観的にもそれが疑いようがないパターン。

⇒これはたぶん多くの人にはムリで多くの人は以下のような形で、代わりの自分の唯一性を確認していくではないかと思う

 

②コミュニティやパートナー間での唯一性

①が「世界レベルで唯一」であるのに対して、②はコミュニティやパートナーの中での唯一性である。よく中学生や高校生が「○○部最高!!」や「私たちずっと友達だよ!!」みたいなことをいうのはこれなのではないかと思う。
自分はどこにでもいるありふれた人間だが、それを受け入れてくれる限定されたコミュニティに唯一性を求めるパターン。大人の場合だと家族や地域共同体もそれにあてはまるような気もする。

 

③他人や自分の歴史を伴った唯一性

「幼馴染み」や「初恋の人」や20年来の友人など、その唯一性の根拠を歴史に持っていくパターン。もしくは自分の生き方や生きざまには絶対に唯一性があるので、それを根拠にする(例えば、あの時の○○な判断の積み重ねが今の自分を作っている)などの考え方をしているような場合。

 

④切っても切り離すことのできない身体性による唯一性

身体は交換できないので、例えばジョギングやマラソンなどを通じて、自分の身体を強く意識すればそれは無条件に自分が「唯一の存在」だと気づくことにつながる。単純に身体を動かすのは気持ち良かったりもする。

⑤作品や著作など自分自身の分身ともいえる創造物に立脚した唯一性

アーティストなどが「自分の作品」に対して、自分の分身とも思えるような思い入れを持った時に、それが自分の唯一性ともなる。

⇒そもそも自分が唯一であることに意味なんてないと考えたとき。
自分も他人も交換可能な存在なんだということを理解した時

⑥単純に楽しいこと、喜びを追求する
この状態になった時にどういうことが重要になってくるのか思いつかないですね。
インスタグラムで投稿してしまう心理はきっと⑥の枠の中で、非日常性(唯一性)を回復しようとする試みのような気もするので、⑥が今後大事になっていくような気はします。

 

①~⑥を通して、「自分は唯一だろうか?」という問いへの回答の仕方が、生き方を決めるうえでこれから重要になっていくと考えている。そのための類型として6つ挙げてみたが、他の答えもあるような気もするので思いついたらどんどん追加していきたい。