読書ログ:「超AI時代の生存戦略」(落合陽一)
この本はすごく不思議な本だった。
あっさりと、世の中の変化で起こっていることをビシッと書き当ててくる。
簡単な言葉で書かれているのだが、ところどころ思いっきり突き放したように何を言っているのかわからなくなる。。。
超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト
- 作者: 落合陽一
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2017/03/18
- メディア: 単行本
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- 落合陽一さんのプロフィール
この本について解説する前に、落合陽一のプロフィールに触れておきたい
東京都出身、六本木育ち。父は国際政治ジャーナリストの落合信彦。叔父は空手家(和真流宗家)の落合秀彦。従兄弟はLady Gagaの主治医を務めたことで著名なデレク・オチアイ。
開成高等学校、筑波大学情報学群情報メディア創成学類卒、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了者)。
本人が提唱する「デジタルネイチャー」という価値観に基づいたメディアアート作品を研究及び制作。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせた視覚的・触覚的作品やデジタル装置を用いてアナログな実体を駆動する研究で知られる。Pixie Dust Technologies inc およびジセカイ株式会社を創業。
「天才」という言葉が似あう人物のひとりだと個人的には思っている。
以前、一度講演会で話を聞いたことがあるのだが、独自の世界観とまるで未来からタイ
ムスリップしてきたような人間観だったのを覚えている。
そう言う感じで、「この著者は天才なんだ」ということを共有したうえで、この本のざっくり解説をしていこうと思う。
■社会はこう変わっている
- 「機械のような人間」「人間のような機械」「現実のような虚構」「虚構のような現実」の区別がなくなっていく(デジタルネイチャー化)
1. 機械のような人間:人間は機械(スマホやゴーグル)を自分の身体の中に取り込んでいき拡張されていく
2.人間のような機械:機械は知能を手に入れ、それっぽい身体を持つ(例:ヒューマノイド)
3.現実のような虚構:VRやテレビゲームはだんだんと現実に近づいていく(例:PSVR)
4.虚構のような現実:現実はARやMRで徐々に虚構性を持っていく(例:PokemonGoなど) - 人間の能力は、ルールが決まった瞬間に瞬時に機械や別の人間に代替される
⇒平均的な能力の人間の行動は、データが集まった瞬間に機械で模倣することが可能である。また、これまでは「同じことができる別の人間」を見つけることが大変だったが、今後はそれを見つけるのは簡単 - グローバル対ニッチという対比の中でコミュニティが形成されていく
⇒人間は「自分が他とは違う代替不可能である!」ということを求めて、30人くらいのコミュニティへ回帰していく。一方で技術は最大公約数を対象に発展を続けるので、グローバル=最大公約数=代替可能、ニッチ=そのメンバに限定特化=代替不可能 という2軸の世の中へ。
■個人に必要になるもの
- ブルーオーシャンを探す
「競争をする」というゲームが決まると人間は機械には勝てない。また、他人との競争になると代替可能になる。
⇒やることも決まっていない状態で、黙々と、淡々とやることが重要 - 機械を使い倒す
⇒機械が大体できるからこそ、すべてのライフスタイルが許容され、やる気がないものは機械に任せる。という選択肢が可能に。仕事もとにかく効率化される。 - 差異が価値を生む。趣味性・遊びの積み上げが自分そのもの
能力的に取り換え不可能な人類が存在しなくなったら、趣味くらいしか差が残らない。趣味や遊びの中に自分のオリジナリティを見出す。
⇒モチベーションに必要なトリガーを抑えて、遊び・ゲームへしていく。
その際のキーワードがギャンブル・コレクション・心地よさ
とりあえず、黙々と淡々と面白いと思いできることが大事! - 徹底的に合理化されていくからこそ、非合理なもの・エモいもの・身体性だけが人間に残る
⇒ラインのスタンプ、飲み会で仲間と交わる、酔って自分を通常と違う状態へ置く、ランニングでリフレッシュするみたいな身体性やエモーショナルなものの価値はひたすら上がる。自分が自分であるという信仰性やエモーショナルなつながりが重要化する - メディアによる発信、「オーディオ」「ビジュアル」のコミュニケーション力が重要
⇒ソーシャルメディアによる発信の重要性は今後も増していく。自分の分身として、自分の趣味性・差異・実績を表現するためのツールになっていく。
人対人のコミュニケーションは究極のところ、「オーディオ」と「ビジュアル」に集約される
■感想
まずは、世の中の流れを明確に言い当てているのを感じた。特に世の中の「生産性ブーム」とそれに反対するように生まれている「コミュニティ回帰」の二つの潮流を明確に表現している。
あとこれからの時代は信仰と遊びの時代だと考えた。
どこまで現実には存在を否定されてもその人の中で神であるように、なにか自分の中なのか外なのかに「すがるもの」がいるのだろうと感じた。また、遊びは「人とは比べずに淡々とやる」ことが重要と感じた。
※他にも落合さんの本について書きました。